・本記事の内容は、筆者の個人的な見解を示すものではなく、特定の政治的思想や立場を推奨する意図はありません。
・記事に含まれる歴史的・社会的な情報は、できる限り正確を期していますが、解釈の違いや新たな研究により変化する可能性があります。
・本記事の内容については、読者自身の判断のもと、必要に応じて複数の情報源を参考にしてください。
今回は偉人シリーズです!!
みなさんは「エイブラハム・リンカーン」という名前を聞いたことがありますか? もしかすると、アメリカの大統領だったことは知っているかもしれませんね。でも、「どんな人だったの?」「なぜ有名なの?」と聞かれると、答えるのが難しいかもしれません。
実はリンカーンは、アメリカの歴史の中でも特にすごい大統領として知られています。なぜなら、彼は「奴隷解放宣言」を出して、アメリカで奴隷制度をなくすきっかけを作ったからです! それだけでなく、彼の言葉や考え方は今でも多くの人に影響を与え続けています。
でも、最初から立派な大統領だったわけではありません。彼は小さいころ、とても貧しい家で育ち、学校にもあまり通えませんでした。それでも、本を読んで勉強し、努力を続けた結果、アメリカの大統領になったのです! そんな彼の人生は、「努力すれば夢は叶う!」ということを教えてくれますね。
この記事では、エイブラハム・リンカーンの生涯や功績をわかりやすく紹介していきます。彼がどんな子どもだったのか、どんな困難を乗り越えたのか、そして彼の言葉が今の私たちにどんな意味を持つのか、一緒に探っていきましょう!
リンカーンが生きた時代
エイブラハム・リンカーンが生まれたのは、1809年のアメリカです。この時代のアメリカは、今とはまったく違う世界でした。まだ50州すべてがそろっておらず、西部は未開拓の土地が多かったのです。アメリカは1776年にイギリスから独立したばかりで、国を発展させるために多くの人々が働いていました。
しかし、大きな問題もありました。その一つが「奴隷制度」です。当時のアメリカ南部では、黒人の人々が農園で働かされ、自由のない生活を強いられていました。一方、北部では工業が発展し、奴隷を使わずに仕事をする人々が増えていました。このため、「奴隷制度を続けるべきか、廃止すべきか?」という議論が国の中でどんどん大きくなっていったのです。
この問題は、アメリカの人々を二つのグループに分けました。
- 南部:「奴隷制度は必要だ!」
- 北部:「奴隷制度はなくすべきだ!」
この対立がどんどん激しくなり、やがてアメリカを二つに分ける戦争(南北戦争)につながっていきます。リンカーンは、そんな混乱の中で大統領になったのです。彼がどのように国をまとめ、どんな決断をしたのか? それは、これからの話で詳しく見ていきましょう!
・『エイブラハム・リンカーン』 (Wikipedia)
・奴隷解放宣言|日本大百科全書|ジャパンナレッジ
・『エイブラハム・リンカーン : 「奴隷解放宣言」を発して奴隷制度を廃止し、民主主義の指針を示したアメリカの大統領』 (CiNii)
エイブラハム・リンカーンの生い立ち
エイブラハム・リンカーンは、1809年2月12日にアメリカのケンタッキー州の小さな丸太小屋で生まれました。家はとても貧しく、学校に通うこともほとんどできませんでした。当時のアメリカでは、農業をしながら暮らしている家庭が多く、リンカーンの家も例外ではありませんでした。彼の家族は、広い土地を持っていたわけではなく、日々の生活も大変だったのです。
リンカーンの両親は読み書きができなかったと言われています。しかし、お母さんのナンシーは、リンカーンに「学ぶことの大切さ」を教えました。ナンシーはリンカーンが9歳のときに病気で亡くなってしまいましたが、彼女の教えは彼の心に深く残っていました。その後、父親は新しい母親を迎えましたが、この継母もリンカーンの勉強を応援してくれる人でした。
学校にほとんど通えなかったリンカーンでしたが、本を読むのが大好きでした。彼は自分で文字を学び、家にあった本を何度も何度も読んでいました。有名な話では、近所の人から本を借り、それを返す前にすべて暗記してしまったとも言われています。また、「奴隷制度は本当に正しいのか?」と考えるきっかけになった本にも出会い、彼の心の中で正義についての考えが育まれていきました。
若いころのリンカーンは、さまざまな仕事をしながら生活をしていました。農場で働いたり、木を切って運んだり、商人として働いたりしました。その後、法律に興味を持ち、独学で法律を学び、ついには弁護士になりました。学校に通えなくても、一生懸命に学び続けたリンカーンの努力はすごいですよね!
このようにして、貧しい家庭に生まれたリンカーンは、自分の力で知識を身につけ、未来を切り開いていきました。彼の「学ぶ力」と「努力する姿勢」は、今の私たちにとっても大きなヒントになりますね!
・『エイブラハム・リンカーン』 (Wikipedia)
・『リンカーン大統領のせいじつなことば -エイブラハム・リンカーンの生涯』(2009年、Doreen Rappaport、国土社)
・『奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(1)プロローグ』 (Christian Today)
弁護士から政治家への道
エイブラハム・リンカーンは、もともと貧しい家庭に生まれましたが、本を読んで独学で法律を学び、ついには弁護士になりました。学校にほとんど通えなかった彼が、努力を続けて弁護士になったことは、多くの人にとって驚きだったでしょう。
弁護士になったリンカーンは、貧しい人々のために働くことが多く、「正直なリンカーン(Honest Abe)」と呼ばれるようになりました。彼は「法律はすべての人に平等でなければならない」と考え、困っている人を助けることを大切にしました。お金を持っていない依頼人のために、無料で弁護することもあったそうです。こうした誠実な姿勢が、人々から信頼される理由の一つでした。
弁護士として成功したリンカーンは、次第に政治に興味を持つようになります。彼はアメリカの未来について考え、「もっと良い国にするために、自分も政治の世界に入るべきだ!」と決意しました。そして、1834年、25歳のときにイリノイ州議会議員に選ばれ、政治家としての第一歩を踏み出します。
政治家としてのリンカーンは、特に「奴隷制度」に対して強い意見を持っていました。当時、南部の州では奴隷制度が当たり前のように続いていましたが、リンカーンは「すべての人は平等であるべきだ」と考えていました。彼は奴隷制度を廃止するために、演説をしたり、議論を重ねたりしました。彼の意見に賛成する人もいれば、反対する人もいましたが、リンカーンは決してあきらめませんでした。
このようにして、弁護士として正義を守りながら、多くの人々の信頼を得たリンカーンは、やがてアメリカ全体を変える大統領へと成長していくのです。次の段落では、リンカーンがどのようにして大統領になったのかを見ていきましょう!
・『リンカーン弁護士時代の法廷資料集 1855-1861年』 (Gale)
・『エイブラハム・リンカーン』 (Wikipedia)
・『エイブラハム・リンカーン : 「奴隷解放宣言」を発して奴隷制度を廃止し、民主主義の指針を示したアメリカの大統領』 (CiNii)
リンカーン、大統領になる!
エイブラハム・リンカーンは、弁護士や議員として活躍しながら、多くの人々から信頼される存在になっていきました。彼の演説は力強く、人々の心を動かすものでした。特に、奴隷制度の問題について真剣に考え、「すべての人は平等に生きる権利がある」という彼の信念は、多くの人々に希望を与えました。
そんなリンカーンが1860年、ついにアメリカ合衆国の第16代大統領に選ばれます! しかし、この大統領選挙は簡単なものではありませんでした。当時のアメリカは、奴隷制度を巡って南部と北部で意見が大きく分かれていました。南部の人々の多くは「奴隷制度を続けるべきだ」と考えていましたが、リンカーンは「奴隷制度は廃止すべきだ」と主張していました。そのため、南部の州の人々は、リンカーンが大統領になることに強く反対していました。
リンカーンが大統領に選ばれると、南部のいくつかの州は「もうアメリカの一部ではいたくない!」と宣言し、アメリカから離れる動きを見せました。こうして、アメリカは二つに分かれ、ついに「南北戦争」が始まってしまったのです。 これはアメリカの歴史の中でも、最も大きな内戦の一つであり、多くの人々が命を落としました。
大統領としてのリンカーンは、国をまとめるために必死でした。彼は「この戦争を終わらせ、アメリカを一つにすることが私の使命だ!」と考え、さまざまな決断を下しました。その中でも特に有名なのが1863年の「奴隷解放宣言」です。これによって、アメリカの奴隷制度を廃止する大きな一歩が踏み出されたのです。
しかし、戦争が終わるまでにはまだ時間がかかりました。リンカーンはどのようにして戦争を終わらせ、アメリカを一つにしたのでしょうか? それは次の段落で詳しく見ていきましょう!
・『エイブラハム・リンカーン』 (Wikipedia)
・『奴隷解放宣言』(1863年) (ジャパンナレッジ)
・『エイブラハム・リンカーン : 「奴隷解放宣言」を発して奴隷制度を廃止し、民主主義の指針を示したアメリカの大統領』(1994、アンナ・スプロウル、偕成社 )(CiNii)
南北戦争とリンカーンの決断
リンカーンが大統領になった直後、アメリカは南北戦争(1861年~1865年)という大きな戦争に突入しました。これは、南部の州が「奴隷制度を守るため」にアメリカから独立しようとしたことで始まりました。彼らは「アメリカ連合国」という別の国を作ろうとし、一方の北部は「アメリカ合衆国」として国を一つにまとめようとしました。リンカーンは「アメリカは一つの国であるべきだ!」と考え、この戦争を終わらせるために奮闘しました。
南北戦争は、アメリカ史上最も多くの人が命を落とした戦争の一つでした。最初は南部軍が強く、北部軍は苦戦しました。しかし、リンカーンは諦めることなく、国を一つにするための戦略を考え続けました。そして、戦争の途中で「奴隷解放宣言」(1863年)を発表します!
この宣言により、アメリカ南部の奴隷たちは「自由の身」となり、北部軍に参加することも可能になりました。これによって北部軍の勢いが増し、南部軍を追い詰めていくことができたのです。 つまり、「奴隷解放宣言」はただの法律ではなく、戦争を有利に進める大きな作戦の一つでもあったのです。
リンカーンはまた、「すべての人が平等であること」をアメリカの未来のために強く訴えました。そして、1863年には「ゲティスバーグ演説」を行います。この短い演説の中で、彼は「政府は国民のためのものであり、自由を守るべきものである」と語り、多くの人々の心を動かしました。この演説は、アメリカ史上最も有名なスピーチの一つとして今も語り継がれています。
ついに、1865年4月、南北戦争は北部の勝利で終わりました。リンカーンの努力によって、アメリカは再び一つの国としてまとまりました。しかし、彼の物語はここで終わりではありません。次の段落では、戦争が終わった直後に起こった悲しい出来事について見ていきましょう。
・『エイブラハム・リンカーン』 (Wikipedia)
・『奴隷解放宣言』(1863年) (ジャパンナレッジ)
・『エイブラハム・リンカーン : 「奴隷解放宣言」を発して奴隷制度を廃止し、民主主義の指針を示したアメリカの大統領』(1994、アンナ・スプロウル、偕成社 ) (CiNii)
リンカーン暗殺―悲劇の結末
1865年4月9日、南北戦争は北部の勝利で終結しました。リンカーンのリーダーシップによってアメリカは再び一つの国になり、奴隷制度の廃止に向けて大きな一歩を踏み出しました。しかし、彼の活躍は長くは続きませんでした。戦争が終わってからわずか5日後の4月14日、リンカーンは暗殺されてしまったのです。
その日、リンカーンはワシントンD.C.にあるフォード劇場で、妻のメアリーと一緒に舞台を観劇していました。楽しい時間を過ごしていたその最中、南部を支持していたジョン・ウィルクス・ブースという男が劇場に忍び込み、リンカーンの頭を銃で撃ったのです。リンカーンはすぐに近くの建物に運ばれましたが、翌日の4月15日の朝に息を引き取りました。
このニュースはアメリカ中を大きく揺るがしました。多くの人々が「英雄を失った」と悲しみました。リンカーンは国のために全力を尽くし、自由と平等のために戦ったにもかかわらず、暗殺という悲劇的な最期を迎えてしまったのです。
暗殺を実行したブースは、「南部を守るためにリンカーンを殺した」と主張しました。しかし、彼の行動はアメリカをさらに混乱させることになりました。リンカーンの死後、アメリカはしばらく不安定な時期が続きましたが、彼が残した「自由と平等の精神」は、後のアメリカの発展につながっていきました。
リンカーンの遺体は故郷のイリノイ州スプリングフィールドに埋葬され、今でも彼を讃える記念碑が建てられています。また、ワシントンD.C.には「リンカーン記念館」があり、そこにはリンカーンの大きな像とともに、彼の名言が刻まれています。彼の功績は、今も世界中で語り継がれ、多くの人々に影響を与え続けています。
・『エイブラハム・リンカーン』 (Wikipedia)
・『ワシントンD.C.でリンカーン大統領の生涯と足跡をたどる旅』 (Travel DC)
・『エイブラハム・リンカーン : 「奴隷解放宣言」を発して奴隷制度を廃止し、民主主義の指針を示したアメリカの大統領』(1994、アンナ・スプロウル、偕成社 ) (CiNii)
リンカーンが残した言葉と教え
エイブラハム・リンカーンは、その生涯を通じて多くの名言を残しました。彼の言葉は、単なる歴史上の出来事ではなく、現代の私たちにも大切な教訓を与えてくれます。
たとえば、彼の最も有名な演説の一つである「ゲティスバーグ演説」の中で、次のような言葉を述べています。
「人民の、人民による、人民のための政治(government of the people, by the people, for the people)」
この言葉は、「政治は特定の人々のものではなく、すべての人々のためにあるべきだ」という意味を持ち、今でも世界中の民主主義の基本的な考え方になっています。日本の政治の授業でも取り上げられることがあるので、聞いたことがある人もいるかもしれませんね!
また、リンカーンは努力と誠実さの大切さについても語っています。
「あなたができる最善のことをしなさい。そうすれば、いつかきっと結果がついてくる。」
これは、彼自身の人生が示しているように、どんなに貧しい環境に生まれても、努力を続ければ道は開けるということを意味しています。リンカーンは学校に通えなかったにもかかわらず、独学で学び続け、ついにはアメリカの大統領になりました。その姿勢は、私たちにも「どんな状況でも諦めずに努力することが大切だ」ということを教えてくれます。
さらに、彼は「正直でいること」の重要性も語っています。
「私が成功するかどうかはわからないが、少なくとも正直であることはできる。」
この言葉の通り、リンカーンは「Honest Abe(正直者のエイブ)」と呼ばれるほど誠実な人物でした。彼は弁護士時代から嘘をつかず、公平に人々の話を聞き、正しいことを貫いてきました。その結果、彼は多くの人々に信頼され、アメリカを導く偉大な指導者となったのです。
リンカーンの言葉は、時代を超えて私たちに大切なことを教えてくれます。
「努力を続けること」「正直であること」「人々のために行動すること」。これらの教えは、学校や仕事、そして日常生活でもとても役に立つものばかりです。
・『エイブラハム・リンカーン』 (Wikipedia)
・『エイブラハム・リンカーン大統領の誠実な言葉』
おわりに
エイブラハム・リンカーンは、貧しい家庭に生まれながらも、努力を続けて大統領になり、アメリカの歴史を大きく変えた人物でした。彼の生涯を通して、私たちは「学び続けることの大切さ」や「正直さと誠実さ」、そして「困難に立ち向かう勇気」を学ぶことができます。
リンカーンがいなければ、アメリカは今のような国になっていなかったかもしれません。彼が成し遂げた奴隷制度の廃止は、世界中に大きな影響を与えました。そして、彼の言葉や考え方は、今でも多くの人々に勇気を与え続けています。
「どんなに苦しい時でも、努力し続ければ未来は変えられる」——リンカーンの人生は、そのことを私たちに教えてくれます。彼の言葉や行動を心に刻み、私たちも自分の夢や目標に向かって進んでいきましょう!
参考文献
・”エイブラハム・リンカーン.” Wikipedia, N.D., https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%B3.
・”奴隷解放宣言(1863年).” ジャパンナレッジ, N.D., https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1483.
・”エイブラハム・リンカーン : 「奴隷解放宣言」を発して奴隷制度を廃止し、民主主義の指針を示したアメリカの大統領.” CiNii, N.D., https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN14078602.
・”リンカーン弁護士時代の法廷資料集 1855-1861年.” Gale, N.D., https://www.gale.com/jp/c/lincoln-at-the-bar-extant-case-files-from-the-us-district-and-circuit-courts-southern-district-of-illinois-1855-1861.
・Rapoport, Doreen. リンカーン大統領のせいじつなことば. N.D., Amazon, https://www.amazon.co.jp/dp/4337062459.
・”奴隷解放の父―エイブラハム・リンカーンの生涯(1)プロローグ.” Christian Today, N.D., https://www.christiantoday.co.jp/articles/32718/20230906/life-of-abraham-lincoln-1.htm.
・”ワシントンD.C.でリンカーン大統領の生涯と足跡をたどる旅.” Travel DC, N.D., https://www.traveldc.us.com/ja-jp/featured/abraham-lincoln-a-journey-through-his-life-and-legacy-in-washington-d-c.


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