・本記事の内容は、筆者の個人的な見解を示すものではなく、特定の政治的思想や宗教的思想、立場を推奨する意図はありません。
・記事に含まれる歴史的・社会的な情報は、できる限り正確を期していますが、解釈の違いや新たな研究により変化する可能性があります。
・本記事の内容については、読者自身の判断のもと、必要に応じて複数の情報源を参考にしてください。
「社会のためになることがしたい!」――そんなふうに思ったことはありませんか?
もし、これを本気でやってのけた人がいたとしたら、どんな人物だと思いますか?
その人の名前は、渋沢栄一(しぶさわ えいいち)さん。
彼は、明治時代の日本で、たくさんの会社や銀行を作り、日本の経済をぐんぐん発展させた「お金と社会のヒーロー」です!
でも、ただお金をもうけるだけの人ではありません。
「お金をもうけるなら、正しいことをしながらもうけよう!」という考えを大切にして、たくさんの人たちに希望と道しるべを与えたのです。
この記事では、そんな渋沢栄一さんの人生や考え方、どんなことを成しとげたのかを、小中学生のみなさんにもわかりやすく紹介していきます。
きっと、将来の夢や、自分の行動について考えるヒントが見つかるはずですよ!
生い立ちと青年期
渋沢栄一さんは、1840年(天保11年)、今の埼玉県深谷市にある農家の家に生まれました。
このころの日本は、まだ江戸時代。今のようなコンビニもスマホももちろんない、武士が歩く時代です。
栄一さんの家は、「農業」だけでなく、「藍(あい)」という植物を育てて染め物の材料として売る仕事もしていました。この藍作りはとても手間がかかるけれど、いい藍は高く売れるため、家の商売はうまくいっていたそうです。そんな家で育った栄一さんは、小さいころから「働くことの大切さ」や「商売の工夫」を学んでいきました。
また、勉強も大好きで、論語(ろんご)という昔の中国の教えを毎日読んでいました。
「人として正しく生きるにはどうすればいいか?」ということを考える時間が、子どものころからあったのです。
しかし、やがて栄一さんは、大きな不満を感じるようになります。
それは、武士と農民のあいだにあった「身分のちがい」です。
どれだけ努力しても、農民は武士のようにえらくなれない――。
この身分のカベに、「なんかおかしい!」と立ち向かおうとしたのです。
20歳ごろになると、尊王攘夷(そんのうじょうい)という考えにひかれて、仲間とともに武力で社会を変えようと動き出します。けれど、その後、人生の流れは大きく変わります。なんと、ある人物との出会いがきっかけで、幕府に仕えることになったのです!
それが、次の章につながる重要な転機。
農民の子として生まれた青年が、どのようにして日本の「お金のしくみ」を作るリーダーになったのでしょうか?
次は、その秘密にせまっていきます!
実業家としての活動
栄一さんは、あるとき、将軍の弟「一橋(ひとつばし)慶喜(よしのぶ)」に見いだされて、幕府の役人として働くことになります。農民の子どもだった栄一さんが、江戸の中心で大名たちと並んで仕事をするなんて、すごい転身ですよね!
その後、フランスをはじめとするヨーロッパ各国を見学するため、使節団の一員として海外へ旅立ちます。この経験が、栄一さんの考え方をガラリと変えました。
ヨーロッパでは、多くの国がすでに近代化され、会社や銀行が社会を支える仕組みができていました。「日本もこのままじゃいけない! 国を豊かにするには、もっと働く人や会社を応援する仕組みが必要だ!」そう思った栄一さんは、日本に帰ってからすぐに行動を始めます。
その第一歩が、第一国立銀行(今の「みずほ銀行」)の設立です。
これは、日本で初めての本格的な銀行で、ただお金をあずけるだけでなく、会社をつくる人や商売人を応援する役割もありました。
さらに、栄一さんはびっくりするほど多くの会社の設立にかかわります。
その数、なんと約500社!
今の東京ガス、東京海上、帝国ホテル、王子製紙、東洋紡、サッポロビールなど、日本を代表する企業がたくさんあります。
でも、栄一さんは「お金持ちになること」が目的ではありませんでした。
「経済を発展させることが、社会全体をよくすることにつながる」と考えていたのです。
だから、ただお金をもうけるのではなく、正しい心で、まじめに働くことを何より大切にしました。
・「渋沢栄一が関わった約500の企業等」東京商工会議所. https://www.tokyo-cci.or.jp/shibusawa/history/pdf/companies.pdf
・「渋沢栄一の紹介」深谷市公式ホームページ. https://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/shokai.html
思想と哲学 ―「論語と算盤(ろんごとそろばん)」―
渋沢栄一さんの考え方を一言であらわすと、「論語と算盤(ろんごとそろばん)」です。
この言葉には、「正しい心(論語)」と「お金の計算(算盤)」をどちらも大切にしよう、という意味がこめられています。
「論語(ろんご)」は、中国の昔の先生・孔子(こうし)が書いた、人としての正しい生き方についての教えです。
たとえば、「人に親切にしよう」とか、「うそをついてはいけない」といった、道徳(どうとく)的な考えがたくさん書かれています。
一方の「算盤(そろばん)」は、みなさんも学校で使ったことがあるかもしれませんね。
これは、お金や商売の計算をするときに使われる道具です。つまり、「経済活動」のことをあらわしています。
このふたつ、いっけんバラバラに見えるかもしれません。
でも栄一さんは言いました。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」
つまり、「お金をもうけることだけを考えて、人をだましたり、自分だけ得をしたりするのはダメ!」
でも逆に、「正しいことだけを言って、お金のことを考えなければ、何もできない」――そんな考え方です。
このバランスの大切さは、今の社会でもとても重要です。
私たちが社会の中で働くとき、学校で活動するとき、人と関わるとき、どちらかだけにかたよるのではなく、正しさと現実のバランスをとっていくことが大事だと教えてくれています。
だからこそ、「論語と算盤」は、今でも多くの経営者や先生たちに読まれている名言なのです!
・ 渋沢栄一. 論語と算盤. 1916.
・ 「『論語と算盤』渋沢栄一と二松学舎―山田方谷・三島中洲とともに」朝日新聞出版, 2021.
・「渋沢栄一 『論語と算盤』 ‐ 格言十則」山西商事株式会社. https://www.yamanishi.co.jp/files/69%E6%9C%9F%E7%A9%8D%E7%AE%97%E8%B3%87%E6%96%995%E6%9C%88%E5%8F%B7.pdf
教育・社会貢献 ―「未来を育てる心」―
渋沢栄一さんは、会社や銀行だけでなく、人を育てることにもとても力を入れていました。
彼が本当にのこしたかったのは、「お金」や「会社」だけではなく、未来の日本を支える人たちだったのです。
まず注目したいのが、教育への貢献です。
栄一さんは、「学ぶことは人生をよりよくする力になる!」と信じ、たくさんの学校づくりを応援しました。
たとえば、一橋大学、東京経済大学、日本女子大学校などは、彼の支援や考えが関係しています。
また、若い人たちにチャンスを与えることが、日本の未来をよくする道だと考え、奨学金(しょうがくきん)の制度にも関わりました。
さらに、栄一さんは福祉や医療の分野でも活動しています。
たとえば、東京慈恵会医科大学や日本赤十字社にも関わり、病気の人たちや困っている人たちを支える仕組みづくりを進めました。
それはまるで、「みんなが安心して生きていける社会をつくる」ための努力でした。
また、渋沢さんは「ボランティア活動」や「市民の助け合い」のような精神をとても大切にしていました。
会社やお金の世界だけにとどまらず、「思いやり」や「助け合い」こそが社会をよくする力になると信じていたのです。
このように、渋沢栄一さんはただの「すごいお金持ち」ではなく、人の幸せや未来を本気で考えた、やさしいリーダーだったのですね。
参考文献
・渋沢栄一記念財団. “渋沢栄一略歴.” 公益財団法人 渋沢栄一記念財団, www.shibusawa.or.jp/eiichi/eiichi.html. アクセス日: 2025年3月26日.
・深谷市. “渋沢栄一の紹介.” 深谷市公式ホームページ, www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/shokai.html. アクセス日: 2025年3月26日.
・東京商工会議所. 渋沢栄一が関わった約500の企業等. www.tokyo-cci.or.jp/shibusawa/history/pdf/companies.pdf. アクセス日: 2025年3月26日.
・渋沢栄一. 論語と算盤. 1916年.
・朝日新聞出版. 『論語と算盤』渋沢栄一と二松学舎―山田方谷・三島中洲とともに. 2021年.
・山西商事株式会社. 渋沢栄一『論語と算盤』‐格言十則. www.yamanishi.co.jp/files/69%E6%9C%9F%E7%A9%8D%E7%AE%97%E8%B3%87%E6%96%995%E6%9C%88%E5%8F%B7.pdf. アクセス日: 2025年3月26日
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